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「無差別殺人事件」についておもうこと

また最近「無差別殺人」が起こっていますね。

その犯人は決まって言います。「誰でも良かった」と。

「誰でもいい」ならなぜ殺人などを犯す必要があるのか?
深い怨恨の果てならばまだ分かる(もちろん許されることではありませんが)。
お互いに殺す理由と殺される理由が認識できているなら、
まだ「悲しみの消化」の可能性も残されている。
でも理由もなく自分の人生と同じだけの、もしかしたらそれ以上の
重さのある他人の人生を切り取り、消し去ってしまうと言うことの
意味が分かっているのだろうか?
被害者だけでなく、その家族や情ある人たちの人生を道連れに・・・です。

本来生き物が生き物の命を奪うのは己が生きるため。
人間は日常的にこのルールを逸脱していますが、それでも多くは食べるため。
それ以外に殺すことは基本的には許されないと思うのです。

苦しみを知って、人に対する思いやりを知る。
痛みを知って、人に対する優しさを知る。
体罰を推奨する気持ちはありませんが、やはり成長の中で
感じておくべき「苦痛」はあると思うのです。

そして誰にでもいるはずの両親の無償の愛情を感じるべきであること。
毎日食事をさせてもらって、暖かいベッドで眠れると言う世界的に見て
圧倒的な幸運に感謝をするということ。
そしてそんな親と同じ「誰か」の親から「誰か」を奪うということが
どれだけ悲しみを生むことになるかを。

決して人を傷つけることで「神」などにはなれない。
それ以前に誰も「神」などにはなれないんです。
みんな同じ人間。罪深い人間同士だからお互いに「慈悲」の心を。

「楽しく生きるには二つのことだけ守ればいいんだから。
車のクラクションを鳴らさないことと、細かいことを気にしないこと。それだけ」
 「アヒルと鴨のコインロッカー」より

「無差別殺人事件」についておもうこと_c0062418_22583788.jpg


camera:Canon PowerShot G7

  by space_craft | 2008-03-30 23:10 | Daily

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